まんまる日和

人権を取り戻す物語。

童貞よフェルメール展へ行け

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みなさん、こんにちは(^^) まんまる鈴木です(@oilyboy_ash)
先日大阪市立美術館にて開催されているフェルメール展に行ってきました〜( ´∀`)

フェルメール??
それってゼニガメの進化後?って言う人も、
あ、あの牛乳注いでいる女のことね!!って言う人も、
この体験記事を読んで頂ければと思います♪( ´▽`)

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この日は、祝日ということもあり、激混みでした(´・_・`)
待っている間は、前々からどうしても見たいと思っていた牛乳を注ぐ女のことを考えてました。

牛乳を注ぐ女

牛乳を注ぐ女 出典:wikipedia パブリックドメイン

あー麗しいなあ、と物思いに耽っているとチケットを買う順番がきました(^ ^)
チケットを片手にロビーの角を左に曲がると受付が。
その受付に向かう通りしな、気になる案内が。

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。。。

牛乳を注ぐさとみ

 

!!!!!

石原さとみだ。

音声ガイドをやってくれるらしいです٩( 'ω' )و
受付でチケットを渡し、いざ中へ。
目の前に音声ガイド貸し出しの長蛇の列が。
男が多い訳ではなく、老若男女問わず、牛乳が注がれるが如く、音声ガイド受付に流し込まれるように並んでいました。
さすが国民的女優です( ´ ▽ ` )
先程のチケット売り場より並んでいたが、迷わず並びました。

 

待っている間は、牛乳を注ぐさとみを考えていると、あっという間に順番がきました。
ヘッドホンと音声ガイドをもらう。
「55番を押すと解説が始まります」
スタッフに言われるがまま、
「 5 5 」と音声ガイドのボタンを押した刹那。

 

性が発芽した。

 

 

 

声という性器を耳にあてがわれ、滑り込んできた。
そして、声は牛乳を注ぎ込むように奥へ奥へ進んでいく。
脳が、上半身がそして体全体が満たされ、溺れていた。

通例、性器、もっと広げると性感帯を通じて、脳へ信号が送られるが、今回は、直接脳が刺激された。
人間は、脳によって高度な思考と理性を持つ。
刺激が強すぎて、思考と理性が仕事をしていなかったのだろうか。
性行為直後の記憶がない。
理性が働いて、周りを見渡したが、誰にも感づかれていないようであった。
声が無形物で良かったと安堵した。


誰の性の形もそれぞれ特殊なのだから、石原さとみの声に発情する性も、隠れていただけで存在はするのだろう。石原さとみの声に発情する性は、男性という性に包含されている訳ではなく、それぞれ独立してあるのだ。つまるところ、私は男性という性を持ち合わせながら、石原さとみの声に発情する性をも持ち合わせている。
そして、性器はちんちんと耳なのだ。

普段はちんちんしか使わないので、形状が穴である耳を性器として使うのは少しばかり違和感を覚えた。まあちんちんは1回しか使ったことはないのだが。
性器が穴状で、そこに一方的に声という性器を注がれるのは、どこか受動的であったかもしれない。
しかし、能動的な一面もあっただろう。
公衆の前で性行為のきっかけとなる音声ガイドのボタンを押すというだけでかなり能動的である。しかし、さとみが耳に声という性器を牛乳を注ぐ女のように流し込むこの行為の能動性にはとても敵わない。
そして牛乳を注ぐ女はさとみの声の非常に的確に比喩表現として表している。

『牛乳を注ぐ女』には、詳細表現のためにではなく、女性とテーブルの重量感を表現するために錯視技法が使用されている。 [中略] 『牛乳を注ぐ女』のように性的な画題を巧妙に隠蔽していた作品もあれば、あからさまに性愛描写を描いた作品もあった
引用元: wikipedia

 

このように重量感があり、そして潜在的な妖艶さを持ち合わせている声をうまく言い表している。

その声を耳に挿入する擬似的な、

いやこれこそが、


これこそがSEXなのだろう。


かくして私の初体験は石原さとみに奪われたのであった。




かの有名なクラーク博士はこう言った。

少年よ大志を抱け  
(ウィリアム・スミス・クラーク)
 

若者は大きな志をもって、社会へ出よという意味が込められている。


私もこう言おう。

童貞よフェルメール展へ行け

(まんまる鈴木) 

童貞は大きな志をもって、フェルメール展へ行けという意味だ。



えちえちな体験を堪能できるついでにフェルメール6点を含む45作品も堪能できる。

フェルメール展の詳細はこちらだ。

 

 

 

なお、大阪でのフェルメール展に牛乳を注ぐ女は展示されていない。